ニューヨークで起きた衝撃的すぎる地下鉄事故

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皆さんはこの写真を覚えていますか?
これは1994年に、写真界のノーベル賞と言われるPulitzer賞を受けた写真です。餓えて倒れてしまった少女を狙っている鷹。アフリカの悲惨な現実をピンとした緊張感でキャッチした傑作として賞をもらったのですが、、、

果たしてこの写真家は、シャッターを押している場合だったのでしょうか?
少女を助けるのが先だったのではないでしょうか?
でも助けてしまうとこんな上手い具合写真が撮れない、、、
結局写真を選んでしまった写真家は賞に選ばれた後、人々の非難に耐えられず、自殺したと言われています。


私はこの間ニューヨークの各種メディアを騒がせているニュースを聞いて、この写真のことを思い出さざるを得なかったのです。
その事件、タイムズスクエア付近の地下鉄駅で起きた人身事故です。



人身事故というのはその形態を問わずいつでも衝撃的なんですが、
今回の事故はなおさらです。



世界的にもその名を知られているメディアのニューヨークポストが、
こんなタイトルを付けて、人身事故の直前の写真を載せたのです。


残酷すぎますが、この写真は実状況で撮られた写真で、
書いてある通り
「地下鉄の線路に押され落ちた男、この男はまもなく死ぬ」とのキャプションと共に、新聞に載ってしまったので、現在ニューヨークタイムズを始め各種メディアやTwitterでは「適切ではない」「こんな写真を撮る暇があったならば助けるべきだった」などと非難が相次いでいます。


事件の内訳はさらに残酷で、
黒人の青年(調べによると精神状態がよくないらしい。タイムズスクエア付近で物乞いをし、住所はない路上生活者だったという)が喧嘩の途中在日韓国人の韓さんを押して線路に落とす事件が発生。
韓さんは必死にホームに上がって来ようとしたが助からず、たまたまホームにいた写真記者がカメラに収め、この瞬間を最後に韓さんは犠牲者となりました。


これについて、写真を撮ったウマールアッバシ氏(Umar Abbasi)への非難が相次ぎました。それもそのはずで、演出したかのようにきれいに撮れたこの写真を撮っている暇があったならば人を助けるべき。
しかし、非難の声が高まり過ぎたことに対して写真家のアッバシ氏は
「ホームに入ってくる電車の運転士に警告するために俺はフラッシュを焚いて写真を撮ったのだ」と反論。しかも、事件発生後現場に届いた警察により、容疑者が映っているかもしれないとのことでメモリーチップを警察に渡したため、この写真がニューヨークポストに掲載された経緯に関しては全然知らないとのこと。

それて非難の矢先は写真を撮ったアッバシ氏からニューヨークポスト紙に向けられ、ニューヨークタイムズ紙を始めたくさんのメディアがコラムを出したり市民の意見を聞いたりしています。


しかし、
駅内CCTVや、撮影された動画などの分析により(そう。誰か動画も撮ってたらしい)
韓さんが線路に落ちてから電車にはねられるまで22秒もの時間があったことが判明、けっこうの時間があったにもかかわらず誰も彼を助けようとしない(動画によると、避けた人もいた)この現実に対してニューヨークタイムズ紙はAfter Fatal Subway Shove, Asking: Were There No Heroes? (地下鉄事故その後:ヒーロはどこに?)と題してニューヨーカーに市民意識に訴えています。


しかし、私としてはその22秒間で誰も助けていなかったとか
写真を撮ったとか(それが電車を止めるためだったかどうかはさておき)
このような現状はある意味「やっぱり?!」と思えてしまってしかたない部分があります。ニューヨークはいろんな意味で「そういうまち」なんです。


誰かに絡まれることなんて、世界どこの人だって嫌でしょうけど、ニューヨークではなおさら気をつけたいところです。結局今回犠牲者となった韓さんもあの青年に絡まれた結果こうなってしまったんでしょう?
おかしい人が多すぎる。
いろんな意味で人を狂わせるまちですニューヨークは。
誰だって、進んでこの事件に自ら巻き込まれていきたくないはず。
はっきり言って、あのおっさんの手を引いてホームに上げられるかどうかは分からないし、ひょっとしたらこっちもはねられる。通報したって、間に合わなかったらその後の警察調べなどに呼ばれて面倒なことになる。忙しいし、そんなことイヤだ。と、みんなそう思ったでしょうね。


最近日本やアジア諸国でも「個人主義」が広まって社会がダメになったなど言われますが、
これですよ。本家の個人主義ってのは。
でもだれも悪意は持ってないし、皆自分一人生きていくのがいっぱいいっぱいだから仕方がないというのがもっと痛々しいニューヨークです。


お店に行ったって、日本みたいに笑顔で「いらっしゃいませ」とか「お客様お客様」呼ばれとか、、期待できませんよ。
さっさと買って帰れや。こっち忙しいし。聞くなやそんなこと。知らんかったら買うな!的な考え方。


「あの笑顔持ち帰りできますか?」とかね、日本では言うマクドだけど
こっちのマクドで笑顔なんか見たことないし、品物投げたりするし。
親切第一のスタバとか?モジモジしてると怒られるし、、、


そんなのいちいち「なぜ親切にしないの?こっちがお金払ってるんやで?」と聞けないし、
聞いたって「忙しいから」一つで全部片付けられるニューヨークです。
皆が口癖のように「忙しい忙しい」って言うし、だから他人のことまで考えてあげれる余裕ないんです。みんな。


正直、私一人の意見ですけど、
写真撮った記者は「運転士さんに警告するため」にフラッシュ焚いて写真を撮ったというけど、
普通、、、運転士さんが電車を運転してホームに入ります。ホームで誰かフラッシュぱあああと焚いて写真撮ってます。それで「あ!電車停めなあかん!」と思えますか?思われますか?
まぶしいし、むしろ、前に人が落ちていることに気づかなくなるのでは?


写真撮ったのは、はい。撮りました。
メモリーチップを警察に預けて帰宅しました。
次の日に新聞に自分が撮った写真が載ってます。

それって、あの有名な著作権侵害でしょ?
ニューヨークポストは著作権侵害をしてまでもあの写真を1面に載せたかったんですね?
なぜ?
お金になるからです。

金儲け?
方法を選びません。
どんな卑劣なことをしても、金儲けに成功した人の勝ちですこの社会。



それが悪い!
アメリカなんて、ニューヨークなんて最低!!!とは言えないんです。


そりゃ、この社会の価値観だし、外部者である我々が「貴方たち考え方間違ってるから直しなさい」とは言えないんです。
我々の国で「親を大事にしなさい」とか「お仕事は真面目にしましょう」とか「目上の人には敬語を使いましょう」と教わるのと同じ。その社会が持っている価値観なんだから、ここではそれがフツウというものなんです。


こんなこといってても、こんな私も変わっていきますよ。

「人に優しく」というのがものすごく重要な社会でしょ?日本って。
でもここは違う。
優しくする必要がある人にだけ優しくして、他はしなくていい。皆に優しくするなんて、アホ。ムダ。それこそ、バカにされます。
だから、道を歩いていてホワッとした顔してて、「優しそうやな。道聞いたら教えてくれそうやな」って思われるの、時々ものすごくむかつきます。都合良く使われる人間になるんですよ優しそうな顔してると。
だから、だんだん、、、外に出ると怖い顔作って
じっと前を睨みつけて
忙しくもないのに早足で歩くんです。

人にぶつかったりすると「先に謝る人が全て悪かったことになる」という雰囲気だから、絶対に先に謝りません。ちょっとは私が悪かったとしても「なんやねん!!!」と先にキレとけばいいんです。いちいち「貴方が先にこうこうこうしたから、55%は貴方が悪くて、、、」とか言ってる暇ないし。声デカい人勝ち。強面勝ち。だって皆忙しいから。


もうこういうニューヨークにウンザリです。とは言えない。
ニューヨークが嫌いやったら、帰ってまえや自分!ぶつぶつ文句言わないでよ!と言われるのも当然。(しかも本当に言われてるし;;;)
よくよく考えてみると、
ニューヨークが嫌いなわけじゃないんです。
ものすごく変わってしまう、優しさなんか木っ端みじんもなくなる、顔なんかいっつも苦いもの食べたような表情になっている、、、こういう自分のことが嫌いなんです。
こういう私のことが嫌いになるんです。。。


人身事故そのものも悲惨ですが、
そこからいろいろ浮かび上がってくる物事はもっともっと悲惨なこの頃です。


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